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東洋医学01.陰陽五行など

§T. 陰陽五行学説

 陰陽五行学説は、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた唯物弁証法の思想であり、古代哲学ともいえるものです。古代中国人が生活のなかで自然現象を長期にわたって観察し、そこから導きだした独自の思考・論理システムで、宇宙のすべての変化を説明しようとするものです。
 陰陽学説では、自然界のさまざまな事物の発生・発展・変化は、その事物の内部に相互対立する陰と陽が存在しているために生じるのであり、陰と陽が根互作用をおこなうことにより,生命や事物の運動・変化・発展が起こると考えます。
 また五行学説では、宇宙間のすべての事物はすべて木・火・土・金・水という5種類の基本物質により構成されていると考えます。同学説では事物の運動、発展の過程における相互関係を五行の生克制化(注)という理論を用いて説明しています。
 陰陽五行学説は、もともと医学とは関係なかったのですが、医学領域にも深く浸透し、中医学の理論体系の形成に大きな役割をはたしました。同学説は人体の生理機能や病理変化を分析・論証し疾病の診断と治療を導く論理的根拠として、中医学の根幹となっています。

(注)制化−「制」とは抑制、「化」とは化生のこと。

A.陰陽学説

■ 陰陽学説の基本内容

 「陰陽思想」は古代中国神話に登場する帝王「伏羲」が作り出したものとされています。宇宙間のあらゆる事物は、すべて陰と陽の相互に対立する2つの面を含んでいます。陰陽は2つの相互に対立した事物をあらわすだけでなく、同一の事物に内在する根互の対立をもあらわしています。陰陽学説では、世界は物質によって構成された統一体であり、世界の存在そのものが陰陽という2つの気の対立・統一・消長の結果であると考えます。陰陽は一見抽象的に思えますが、実際の応用においては下の表のように一定の具体的な内容を表しています。

陰陽対立表
晴れ 明るい
曇り 暗い

 この表のように、活動的なもの・外在するもの・上昇するもの・温熱的なもの・明るいもの・機能的なもの・機能の亢進しているものは、すべて陽に属します。反対に、落ち着いていて静かなもの・内在的なもの・下降するもの・寒冷なもの・暗いもの・物質的なもの・機能が減退しているものは、すべて陰に属します。陰陽の特徴を把握すれば、宇宙のすべてのもの、すなわち森羅万象を陰と陽というカテゴリーに分類して規定することができます。中医学では、人体に対して推動、温煦作用をもつ気を「陽」と称しており、また人体に対して栄養・滋潤作用をもつ気を「陰」と称しています。また人体の活動状態や病変の趨勢についても、次の表のようにこの陰陽で区別することができます。

    陽   証 陰   証
熱産生、発汗、循環器、消化管、内分泌などの代謝・生理的機能の充進傾向 熱産生、発汗、循環器、消化管、内分泌などの代謝・生理的機能の低下傾向
基礎代謝が高い 基礎代謝が低い
体温が高い傾向 体温が低い傾向
発汗が多い 発汗が少ない
収縮期血圧が高い傾向 収縮期血王が低い傾向
拡張期血圧が高い傾向 拡張期血圧が低い傾向
胃の運動が活発である 胃の運動が不活発、アト二−傾向
交感神経緊張型 迷走神経緊張型
あつがりである 冷えやすい
10 顔面紅潮 顔面蒼白
11 冷たい水や冷たい食事を好む 白湯や温かい食事を好む
12 舌は乾燥して、口渇がある 舌は湿潤して、口渇がない
13 小便は黄色 小便は清澄である
14 唾は普通量である 唾は多い
15 便秘頃向である 下痢しやすい

 事物の陰陽の属性は絶対的なものではなく相対的なものであり、ある一定の条件において陰は陽に転化することができ、陽も陰に転化することができます。さらに陰陽には事物を無限に分けることができるという特徴があります。例えば、昼は陽、夜は陰であるが、午前は陽の中の陽であり、午後は陽の中の陰と区分されます。日没から真夜中までは陰の中の陰であり、真夜中から夜明けまでは陰の中の陽と区分されます。このように陰陽の中にさらに陰陽の区分があります。このことを『陰陽の可分性』と呼びます。
 このように宇宙のあらゆる事物は、すべて陰と陽に分類することができ、あらゆる事物の内部もまた陰と陽に分けることができます。さらに1つ1つの事物の陰あるいは陽もまた陰と陽に分けることができます。

■ 陰陽の依存、対立・制約、消長・転化

[陰陽の依存関係]
 陰と陽は、それぞれ単独で存在することはできず、相手の存在を自身の存在のよりどころとしています。例えば、上は陽で下は陰ですが、上がなければ下は存在せず、同様に下がなければ上を論じることもできません。また熱は陽で寒は陰ですが、熱がなければ寒もなく、寒がなければ熱を論じることができません。
 このような陰陽の依存関係は、人体においてもさまざまな方面に現れます。臓腑組織の構造と機能との関係を例にとると、臓腑組織の構造は陰に属しており、その生理機能は陽に属しています。この両者には構造(物質)と機能との関係があり、互いに依存しあう関係にあります。物質がなければ機能を生じることはできず、また機能がなければ物質を生成することができません。この双方が互いに依存する条件を失うと、いわゆる「孤陰」とか「独陽」の状態となり、生命活動を維持していくことが難しくなります。
 またある一定の条件のもとでの陰陽の転化も、この双方の依存関係を基礎としています。対立する陰陽の間に相互の連絡と相互の依存関係がなければ、それぞれが他方に転化することはできません。

[陰陽の対立・制約関係]
 陰と陽は互いに依存しあっているだけでなく、互いに対立してもいます。しかしこのような対立関係は、固定的・図式的にとらえられるものではなく、相互制約・相互対立の関係として現れます。
 制約とは、陰陽のどちらも他の一方を牽制し制約する作用と力をもち、相手と自身とを常に動態的バランスのとれた状態にしているということです。このような関係により陰は陽の完遂を制約し、陽は陰の行き過ぎを制約し、陰陽の偏った盛衰を矯正しています。
 また、制約関係から一歩進み、陰陽双方が“闘争”の状態に入ることもあります。闘争という形式によって、互いが他を制御しようとするのです。闘争があるからにはそこには勝ち負けが生じ、陰陽の動態的なバランス状態を失調させることもあります。この場合は、「陰が勝れば陽が病み、陽か勝れば陰が病む」という病理変化が現れます。陰陽の勝敗とそれによって生じる失調は、疾病発生の主要な原因・機序と位置づけられています。陰陽が闘争することにより、互いの行き過ぎが制約された、動態的なバランスのとれた状態、これがすなわち健康状態なのです。

[陰陽の消長・転化関係]
 陰陽が消長する、とは、陰陽の双方がたえず「陰消陽長」あるいは「陽消陰長」という運動変化の状態にあるという意味です。例えば気候の変化を例にとると、夏は暑さが極度に達し、夏至になると陰気が生じはじめ、寒の生気を帯びはじめます。秋分に至ると熱気がしだいに衰え、冬の寒さに変わってきます。この寒さが極度に達し冬至になると、陽気が生じはじめ、熱の生気を帯び、春分になると寒気はしだいに衰え、再び夏の暑さにもどります。この夏から秋・冬までは「陽消陰長」の過程であり、冬から春・夏までは「陰消陽長」の過程です。
 四季の気候における陰陽消長の変化は、主として寒熱温涼の差異として現れるが、このような差異と疾病とは、密接な関係があります。例えば多くの疾病において、二至(夏至と冬至)と二分(春分と秋分の両時期の間には、発病率や死亡率の大きな差異が現れます。二至は陰陽が交替・転化するときであり、このために発病しやすく死亡率も高いが、二分は陰陽のバランスがとれているときであるので、発病率・死亡率はともに低いとされています。生命活動の過程において、各種の機能活動(陽)の営みのなかで、必ず一定の栄養物質(陰)が消耗される。これがすなわち「陽長陰消」の過程です。また各種の栄養物質(陰)の新陳代謝には、必ず一定のエネルギー(陽)が消耗されます。これが「陰長陽消」の過程です。このような陰陽の絶え間ない消長の変化により、自然界と人類は発展し、バランスを保っています。
 すべての事物の陰陽は、一定の程度または一定の段階に達すると、それぞれ相反する方向へと転化することがあります。これを陰陽の転化といいます。すなわち陰は陽に転化し、陽は陰に転化することができます。事物の運動変化において、「陰陽消長」が量的変化の過程とするなら、この「陰陽転化」は質的変化の過程ということができます。  陰陽の転化には、一定の条件が必要です。一般的には、陰陽の一方の状態が最高度に達したときに、他方に転化する可能性が生じます。陽が極まると陰となり、陰が極まると陽となり、寒が極まると熱を生じ、熱が極まると寒が生じます。疾病の発展過程においては、陽から陰へ、陰から陽への変化がよくみられます。ただし陰陽の転化は自由におこるものではなく、法則性があり、条件の制限を受けています。必要な条件がそろうと、陰陽の転化は加速あるいは促進します。
 以上が陰陽学説の基本的内容です。このように陰と陽は互いに孤立しているものではなく、互いに連絡しあい影響しあっており、相反相成の関係にあります。

■ 陰陽学説の中医学における運用

 陰陽学説は中医学の哲学観として、中医学術理論体系のさまざまな方面に貫かれており、その応用は非常に広範囲にわたっています。

[生理]
 人体は1つの有機的な統一体です。その具体的な組織構造は有機的に複雑に連絡していますが、陰陽学説では、人体の上下・内外の組織構造を互いに対立する陰と陽の2方面に区分して、すべて説明しています。
 陰陽学説では、陰陽双方が機能・生理的にも対立・統一による協調関係をもつことにより、人体の正常な生命活動が行われると考えています。例えば陽に属する機能と陰に属する物質との関係は、この対立・統一による協調関係の典型です。人体の生理活動は物質を基礎としており、陰精(物質)がなければ陽気(機能)を生じることはできません。また人体の生理活動の結果、陽気(機能)の作用により、体内に陰精(物質)が生じます。陰と陽がこのような相互関係を保てなくなって分離すると、生理活動も停止してしまいます。

[病理]
 陰陽学説では、疾病は陰陽の相対的バランスが失調し、そのために偏盛あるいは偏衰がおこり、その結果として発生するものであると考えています。
 疾病の発生と発展には、正気と邪気が関係しています。正気とは、人体の構造と機能を指しており、疾病に対する抵抗力もこれに含まれます。邪気とは、各種の疾病を引き起こす因子のことである。この正気と邪気との相互作用・相互闘争の状況も、すべて陰陽という観点からとらえることができます。正気には陽気と陰精の2つがあり、病邪も陽邪と陰邪に区別されます。陽邪が作用すると、陽が盛んになり陰を損傷して熱証が現れます。また陰邪が作用すると、陰が盛んになり陽を損傷して寒証が現れます。陽気が虚して陰を制することができなくなると、陽虚陰盛による虚寒証が現れます。また陰液が虚して陽を制することができなくなると、陰虚陽充による虚熱証が現れます。
 疾病の病理変化がいかに複雑で変化に富んでいるように見えても、結局その実質は陰陽のバランス失調によるものなのです。

[診断]
 疾病の発生と発展の根本原因は、陰陽のバランス失調であり、したがって診断を行うときには、まずその陰陽の属性を識別します。例えば「八綱弁証」では、陰陽を総綱領としており、表・実・熱は陽に属し、裏・虚・寒は陰に属するとしています。また証候と疾病との関係は、四診を例にとると表のようになります。

診法 陽証 陰証
色つや鮮やか 色つや暗い
話声は高くよく響く、口数が多い、手足をよく動かす 話声は低く弱々しい、口数が少ない、沈んでおり静かである
熱はあるが寒がらない、冷たい物を飲みたがる 寒がるが熱はない、口渇はない
浮、数、大、滑、実脈 沈、遅、小、渋、虚脈

[治療]
 以上のことから、治療のポイントは、陰陽の偏向の調整により、いかにして陰陽の相対的なバランスを復させるかです。陽熱が盛んであるために陰液を損傷しているものには、過剰な陽を抑制する目的で、「熱なればこれを寒す」という方法を用います。これとは反対に、陰液が不足しているために陽を制することができず陽亢となっているもの、あるいは陽気不足のために陰を制することができず陰盛となっているものには、その不足している陰あるいは陽を補う必要があります。これは「陽病は陰を治し、陰病は陽を治す」といわれているものです。
 陰陽学説の治療への運用は、治療原則の決定にとどまらず、さらに薬物の性味と作用を包括するもので、臨床における薬物利用の根拠ともされています。薬を用いるときには、まず病状の陰陽の偏向(偏盛・偏衰)にもとづいて治療原則の決定を行います。次に薬物の四気五味・昇降浮沈・陰陽の属性を考えて、必要な薬物を選択し治療を行うということになります。

性味・機能の陰陽区分表
    陰
薬 性 寒涼(滋潤) 温熱(燥烈)
薬 味 酸、苦、鹹(かん) 辛、甘、淡
作 用 沈降、収斂 昇浮、発散

B.五行学説

 「五行思想」は夏の創始者「禹」が発案し、前四世紀末の陰陽家・鄒衍(すうえん )と前一世紀ごろ劉向・劉歆親子によって完成されたとされています。五行学説では、宇宙間のすべての事物はすべて本・火・土・金・水という5種類の物質の運動と変化によって生成すると考えています。同学説では五行(木・火・土・金・水)の間の「相互に生みだし、相互に制約する」という関係によって、すべての物質世界の運動と変化を説明しています。同学説は中医学においては、人体の生理、病理、診断と治療などについての理論的根拠として重要です。

■ 五行学説の基本内容

 五行学説では、事物の異なる性質、作用、形態をそれぞれ木・火・土・金・水という五行に区別し帰属させています。五行を分類する木・火・土・金・水という言葉は、事物の性質・特徴を象徴的に表わしたものです。中医学では、この五行というシンボリックな分類法を用いて、独特の医学理論を構築しています。

五行の性質と特徴
五行 性質と特徴
曲直……昇発、条達、伸びやか
炎上……温熱、上昇
稼穡……生化、受納
従革……粛清、変革、収斂
潤下……寒涼、滋潤、下行

 五行学説にもとづき、自然界と人体の臓俯組織などの代表的なものを分類すると、次の表のようになります。

五行分類表
五行


五季 長夏
五方 西
五気 湿
五色
五味
五化
五音
五臭
象数

五臓
五俯 小腸 大腸 膀胱
五体
五官
五液
五華
五声
五志
五動
五兪

■ 五行の相生・相克、相乗・相侮

 五行理論では、事物の統一的な相互関係を五行の相生相克の法則によって説明しています。また事物の協調関係が失調した場合の相互影響を五行間の相乗相侮の関係により説明しています。

[相生・相克]
 五行学説では、事物の根互関係を五行の相生相克として説明しています。相生とは相互産生・相互助長のことで、相克とは相互制約・相互抑制のことです。この相生と相克は、自然界の事物の正常な運動変化すべてにあてはまります。これによって自然界の生態バランスと人体の生理的バランスが維持されている、とされています。
 五行の相生の順序は,木生火・火生土・土生金・金生水・水生木で、これが無限に循環します。また相克の順序は、木克土・土克水・水克火・火克金・金克木であり、これが無限に循環します。五行の生克関係においては「我を生じる」・「我が生じる」・「我を克す」・「我が克す」という4つの関係があります。我を生じたものは我の「母」で、我が生じたものは我の「子」です。木を例にとってこれを説明します。木を生じた水は木の母であり、木が生じた火は木の子です。このため相生関係を母子関係ともいいます。また「我が克す」ものは我が「勝てる」もので、「我を克す」ものは我が「勝てない」ものです。再び木を例にとって説明します。木は土を克すので、これは木が勝てるもので、また木は金に克されるので、金は木が勝てないものということになります。
 事物には必ず相生と相克があります。また相生のなかには相克があり、相克のなかにも相生があります。相生だけがあり相克がなければ「太過〔亢進〕」をまねき、この場合は正常な協調関係のもとでの変化と発展はできなくなります。また相克だけがあり相生がなければ事物の発生と成長はおこらなくなります。「生」(資生)のなかに「制」(制約)があり、「制」のなかに「生」があります。それによって事物相互の協調関係が維持され、そのたえまない生化〔発生と変化〕が可能になります。すなわち相互資生、相互制約には、相生と相克という協調関係が必要なのです。五行学説では、このことを制化法則といいます。

[相乗・相侮]
 五行の相克関係のなかで現れる異常現象を五行の相乗相侮と呼びます。
 相乗:乗とは『虚に乗じて侵襲する』ということで、強者が弱者を凌駕することです。相乗とは『相克が過剰となり、正常な制約の限度を越えたもの』です。相乗と相克の順序は同じですが、その程度が異なります。相乗になる原因には、次の2つがあります。1つは我が「勝てない」ものが偏亢することで、もう1つは我が「勝てる」ものが偏衰することです。この2つのうちの1つがあると、相克の過剰すなわち相乗を生じます。
 相侮:侮とは、『侮ること』です。相侮とは、『相克の関係が逆になること』で、反克ともいいます。この相侮を形成する原因には、次の2つがあります。1つは我が「勝てる」ものが逆に偏亢することにあり、もう1つは我が「勝てない」ものが偏衰することです。この2つのうちの1つがあると、相侮(反克)を生じます。

 ところで、この相乗と相侮とは異なった成り立ちをもつ現象ですが、ある面では共通している部分もあります。相乗では五行の相克の順序に過剰な抑制がおこるのに対し、相侮では五行の相克とは逆の順序に反克現象がおこります。しかし相乗がおこると同時に相侮がおこることがあり、相侮がおこると同時に相乗がおこることもあります。例えば木気が亢進すると、土に乗じ、また金を侮ることもあります。金気が虚すと、木の反侮を受けることがあり、さらに火に乗じられることもあります。相乗と相侮とには、このように密接な関係があるのです。

■ 五行学説の中医学での運用
五臓系統の構造
肝臓系統:肝→胆→筋→目→爪
心臓系統:心→小腸→血脈→舌→面
脾臓系統:脾→胃→肉→口→唇
肺臓系統:肺→大腸→皮→鼻→毛
腎臓系統:腎→膀胱→骨髄→耳→髪
      ↓
      脳、女子胞(奇恒の腑)

[生理]
 中医学では五行の属性にもとづき、五臓系統の生理機能の特徴を次のように説明しています。肝は条達を喜び、抑鬱をきらい、疏泄という機能があり、『昇発という木の特性』があることから、肝臓系統は木に属するとされます。心陽の温煦作用には、『陽熱という火の特性』があることから、心臓系統は火に属するとされます。脾は生化の源であり、『万物を生化するという土の特性』をもつことから、脾臓系統は土に属するとされます。肺気は粛降を主っていますが、これが『清粛・収斂という金の特性』であることから、肺臓系統は金に属するとしている。腎には水を主り、精を蔵するという機能がありますが、これが『低いところに流れるという水の特性』であることから、腎臓系統は水に属するとしている。このように五臓系統を五行の属性に分けると、五臓系統間相互の調節・制御関係を五行の生克・制化理論を運用して、説明することができます。
 五行の相生関係から五臓をみると、腎(水)の精は肝を養い、肝(木)の蔵している血は心を助け、心(火)の熱は脾を温め、脾(土)が化生する水穀の精微は肺を満たし、肺(金)の粛降作用により水は下行して腎水を助けています。このような五行の相生関係に一致する相互資生の循環がたえず行なわれています。
 五行の相克関係から五臓をみると、 肺(金)気は粛降すなわち下降することにより、肝陽の上亢を抑制し、肝(木)はその条達という作用により、脾気が滞らないように疏泄を行っています。また脾(土)はその運化機能により、腎水が氾濫しないように制御し、腎(水)はその潤す作用により、心火が元進しないように防止しています。そして心(火)はその陽熱という特性により、肺金の粛降が過剰にならないように制約し、この肺の粛降作用がまた肝を抑制するというように、五行の相克関係に一致する相互克制の循環がたえず行なわれています。
 このように中医学では五行学説に基づいて、五臓系統の生理機能およびその相互関係を説明しています。そうして人体とその内外環境との相互連絡・相互制約を全体的・統一的に解釈しています。

[病理]
 臓腑間の病理的な相互影響も五行学説で説明されています。臓腑間の病理的な相互影響とは、本臓の病が他の臓へ伝わり、反対に他の臓の病が本臓に伝わることを指しています。これは「伝変」ともいわれています。次の2つの状況があるとされています。
1.相生関係による伝変
 肝と心の関係を例にとると、肝が心を生じるのは、正常な相生関係ですが、肝に病変がおこると心に影響することがあります。肝は心を生じる母臓であり、心は肝が生じる子臓ですで、このような伝変は「母病及子」(母の病が子におよぶ)といわれます。逆に、心の病が肝に影響する場合は、「子病犯母」(子の病が母を犯す)、あるいは「子盗母気」(子が母の気を盗む)といわれています。他の臓の病も、これに準じて表現することができます。
2.相克関係による伝変
 肝と脾の関係を例にとると、肝が脾を克するのは正常な相克関係ですが、肝に病変がおこると脾に影響することがあります。これは「木乗土」(木が土に乗じる)といわれています。反対に牌の病が肝に影響する場合は「土侮木」(土が木を侮る)といわれている。さらに脾が極度に虚弱なために肝に乗じられるものを「土虚木乗」といい、肝が極度に虚しているために脾に侮られるものを「木虚土侮」といいます。
 この2種類の伝変を比較すると、相生関係により伝変した場合、「母病及子」は軽症ですが、「子病犯母」は重症となることが多いとされます。また相克関係により伝変した場合、相乗によるものは重症ですが、相侮によるものは軽症であることが多いとされています。

[診断と治療]
 内臓の機能およびその相互関係の異常な変化は、顔色、音声、形態、脈象などの各方面に反映します。したがって診断を行うときには、望・聞・問・切という四診により得られた情報を通じ、当該の臓が帰属する五行と、その相生相克・相乗相侮の変化法則にもとづいて病状を推察することができます。
 例えば顔に青色が現れているものは肝木の病変が、赤色のものは心火の病変が多いとされます。また黄色のものは脾土の病変、白色のものは肺寒の病変、黒色のものは腎虚の病変を示唆します。
 臨床上、脾虚の患者の顔が青みがかっている場合は、「土虚木乗」の病変と診断することができます。また心病の患者の顔が黒ずんでいる場合には、「水乗火」(水が火に乗じる)の病変と診断します。また肝病の脈は弦ですが、弦ではなく沈脈が現れる場合があります。沈脈は腎の脈であり、相生の脈〔水は本を生じる〕です。これは制化法則の順序どおりなので病は治癒しやすいと判断できます。しかし弦ではなく浮脈が現れることもあります。浮脈は肺脈であり、相乗の脈(金乗木)ですので、この場合は順序が逆であるため難治と判断します。
 このように、疾病の発生・発展には五臓間の相生相克・相乗相侮の変化が大きな影響をおよぼします。したがって治療にあたっては、病んでいる臓腑を適時に治療するだけでなく、さらに五行学説の原理にもとづいて各臓腑間の相互関係を調整し、さらに疾病の伝変や趨勢を予測して疾病の伝変を予防あるいは制御することも重要です。例えば肝病には乗土、侮金という状況が現れることがあります。したがって肝病を治療するときには、脾や肺の機能の調整に注意をはらい、肝気の乗侮を防止する必要があります。
 古代の医家は五行の相生相克、相乗相侮の法則を運用して、数多くの有効な治療法を制定しています。以下は、その代表例です。

五行に基づく治療法
滋水涵木法:腎陰を補うことにより、肝陰を養う方法
培土生金法:脾気を補うことにより、肺気を補う方法
金水相生法:肺腎の陰精を同時に補う方法
抑木扶土法:肝気を抑制することにより、脾土を助ける方法
培土制水法:脾陽を温補することにより、消腫利水をはかる方法
佐金平木法:肺気を清粛することにより、肝気を抑制する方法
瀉火補水法:心火を瀉すことにより、腎陰を滋養する方法

 また針灸の臨床においては、補母瀉子法がよく応用されます。補母は主として母子関係の虚証に用いられます。子の虚証にはその母経または母穴を補うとよいとされています。例えば肝虚証を治療する場合は、肝の母経の腎経の合穴(水穴)である陰谷を取ったり、または肝経の合穴(水穴)である曲泉を取って治療するとよいとされます。これは「虚すればその母を補う」とい原則によるものです。一方、瀉子は主として母子関係の実証に用いられます。このような実証にはその子経または子穴を瀉すとよいとされます。例えば肝実証を治療する場合は、心経の榮穴(火穴)である少府を取ったり、または肝経の榮穴(火穴)である行間を取って治療するとよい効果が得られます。これは「実すればその子を瀉す」という原則によるものです。

C.陰陽学説と五行学説の総合的運用

 中医学では、陰陽学説と五行学説とを相互に関連させて考察します。陰陽を論じるときには、よく五行と関連させ、五行を論じるときには、陰陽から離れることはできません。例えば臓腑の機能を検討する場合、臓腑を陰陽に分けますが、各臓腑の生理機能のあいだには相互資生・相互制約の関係が存在しています。五行の生克・制化により五臓の相互関係を検討する場合も、五臓陰陽の協調した平衡関係を離れることはできません。
 したがって臓絵の生理機能・病理変化を研究する場合は、陰陽と五行学説を総合的に運用すべきです。


§U. 臓腑間相関

 中医学では、自然界と生命現象を含むすべての物質は、永遠不変(恒久)の運動状態にあると考えている。この永遠不変の運動が、広大無辺な世界を創造している。ある事物あるいは生命がこの運動を失うということは、その事物あるいは生命の消滅を意味する。
 中医学は観察と実践を通じてこのような観気を確立した。この観力l(恒動観)を中医理論とその実践の研究に運用し、人体の生理機能における協調関係と、病理変化における相互影響などの問題を説明している。

[生理]
 主として気が臓腑を協調させています。体内における気の運動形式(気機)には、昇・降・出・入の4つがあります。臓腑の気の昇降出入運動は、体内外の各部で生じています。例えば心肺は上焦に位置しており、上にあるものは「降下」する方向に運動します。肝腎は下焦に位置しており、下にあるものは「上昇」する方向に運動します。そして脾胃は中焦にあり、この昇降を推進する枢軸的役割をはたしています。
 肺は粛降を主っており、肝は昇発を主っていますが、これにより昇降が保たれ気機が調和します。また心火は下の腎陽(火)を助け、腎陰を温煦しており、腎水は上の心陰を助け、心陽(火)が亢進しないように抑制しています。このように水火は助けあい、心腎は互いに交通しています。一方、脾と胃は表裏の関係にあり、脾気は昇を生り、胃気は降を主っています。これにより昇清降濁が行われ消化・吸収・輸送が達成されるのです。
 新鮮な空気の吸入、廃気の呼出、飲食物の摂取、糞便や尿の排泄などの人体のさまざまな新陳代謝は、この臓腑の気機による出入運動として行なわれています。
 気の昇降出入の運動は、臓俯組織の総合的な作用によって行なわれていますが、そのなかではとりわけ脾胃の昇降を推進する枢軸的作用が重要な役割をはたしています。脾胃の昇降出入バランスが、全身の気機運動に大きく影響しています。したがって脾胃の機能が失調すると、直接そのほかの臓腑の気機運動にも影響し、そのためにさまざまな疾病がおこります。

臓腑の気の昇降出入運動
臓腑の気の昇降出入運動 @昇発を主り、清粛の亢進を防止する
A粛降を主り、肝陽の亢進を抑制する
B昇降バランスがとれ、気機は調和する
C腎水は心火の亢進を抑制する
D心火は下降して命火を温めている
E水火は助けあい、心腎は交通する

脾胃の昇降を推進する枢軸的作用
臓腑の気の昇降出入運動 @昇を主り、水穀の精微を輸送
A降を主り、水穀の下行を助ける
B肝腎の気の上昇を助ける
C心肺の気の下降を助ける

[病理]
 体内における気の昇降出入は、臓腑・経絡・気血・陰陽などの各方面の機能に関係しています。したがって気機の異常は、五臓六腑・表裏内外・四肢九竅など各部におよび、さまざまな病理変化を引き起こします。臓俯の気機失調の例としては、次のようなものがある。
 肺の宣散と粛降作用が失調して、津液や気血をうまく輸送できなくなると、津液の停滞、気血の鬱滞がおこり、胸悶・咳喘・痰が多いなどの症状が現れます。
 心火が腎水を温めることができなくなると、陰寒が下において盛んになり、寒がり・四肢の冷えなどが現れます。
 腎水が心火を抑制できず心陽が充進すると、心煩・不眠などの症状が現れます。
 肝気の昇発作用が失調し、鬱して化火し、経脈に沿って炎上して肺の津液を損傷すると、脇肋部の疼痛・咳嗽・喀血などの症状が現れます。
 脾の昇清作用が失調し、清陽が下陥すると、腹瀉・食欲不振・内臓下垂などの症状が現われます。
 胃の降濁作用が失調し、濁陰が中焦に停滞すると、曖気(ゲップ)・呑酸・悪心・嘔吐などの症状が現れます。
 臓腑の気機が逆乱して気血が上衝し、脳に血が瘀滞すると、突然昏倒して人事不省となり、半身不随、顔面麻痺などの症状が現れます。

[治療]
 中医学では気機の調節による臓腑機能の増強を重視しており、この昇降出人理論に基く有効な多くの治療原則が確立されています。下の表にその例をいくつか示します。

昇降出人理論に基づく治療法
病証 治療原則
脾胃虚弱による中気下陥 昇提中気法
肝陽上亢 潜降肝陽法
肺気不宣、粛降失調 宣通肺気法
心腎不交 交通心腎法
食積停滞 消導瀉下法
痰濁上擾による清竅失調 逐痰開竅法

§V. 弁証論治

 弁証論治は「証」にもとづく治療システムで、中医学独特の治療体系です。これは証候の鑑別・治療などを経験的・実験的に繰り返し、その結果を演繹的に検討することより、特定の条件下における証候と治法、方薬、治療穴などとの対応関係を帰納的に研究することで長い年月を経て確立したものとされています。

A.弁証
 医師は自身の感覚器官により、患者の反応から各種の病理的信号を収集します。それに望・聞・問・切という4つの診察法(四診)を用います。四診により得られた疾病の信号対して、分析、総合という情報処理を行い、「証候」を判断することを弁証といいます。
 「証」は中医学特有の概念です。疾病の過程には、それぞれいろいろな段階がありますが、証とはその段階ごとの病態を概括したものです。証は病変の部位、原因、性質、邪気と正気との関係などを包括しており、疾病の各段階における病理の本質を反映しています。「証」と「症」とでは概念が異なります。「症」とは、頭痛や咳嗽、嘔吐のように疾病に現れる具体的な症状や兆候のことです。一方「証」とは疾病のある段階ごとの病態を概括したものです、「症」よりもさらに疾病の本質を全面的に、深く、正確に反映しています。

B.論治
 「論治」とは、弁証により得られた結果にもとづき、それに相応する冶療方法を検討して決定し、施行することです。したがってこれは「施治」ともいわれています。ここでは最もよい治療方針を確定するための検討が行なわれる。
 弁証と論治は、相互に密接な関係をもちます。弁証は治療決定の前提で、そのよりどころとなります。一方、論治は治療の方法であり手段です。論治による実際の効果を通じて、さらに弁証の結論が正確であったかどうかが検証されます。このように弁証論治は、理論と実際の臨床の長年の繰り返しにより帰納的・演繹的に体系化されたものです。
 ところで弁証論治では患者の個体差を重視しており、具体的な個々の問題に対レ則本的に分析するという方法をとっています。すなわち「証」にもとづき、具体的な治法を決定し、適切な方薬または治療穴を選択します。現代医学では、一般的には同じ疾病には同じ治療が行なわれており、異なる疾病には異なる治療が行なわれています。このような治療の進め方は弁病にもとづく「同病同治」・「異病異治」といわれています。一方、中医学では弁病によるだけではなく、証の識別がいっそう重要とされています。すなわち1つの病にはいくつかの異なる証が含まれているし、また異なる病であってもその発展過程にあっては同じ証として現れることも少なくありません。したがって中医学では、「同病異治」や「異病同治」という方法が多く用いられています。
 発病季節、発病地区および患者の反応の違い、あるいは疾病の段階の差異によって、同一の疾病であっても証は異なるものとして現れます。したがって同一の疾病に対して治法も同一というわけにはいきません。その場合は「同病異治」の観点で治療を進めます。感冒を例にとると、暑季におこるものは暑邪や湿邪が関係しやすく、したがって治療を行うときには芳香化濁の薬物をよく用います。これにより暑湿の除去をはかるのですが、他の季節の感冒はこれとは異なる方法で対処します。また麻疹を例にすると、初期でまだ発疹がでていないときには発表透疹という治法が用いられますが、中期になって肺熱が著明になっているものには、清熱利肺という治法が用いられます。後期になり余熱がまだ残っていて肺胃の陰分を損傷しているものには、養陰清熱という治法が用いられます。
 異なる疾病であっても、それぞれの発展過程で同一の病機が現れることがありますが、この場合には同じ治法が採用されます。これが「異病同治」といわれる方法です。例えば子宮脱や胃、腎などの内臓下垂、脱肛はそれぞれ病名は異なりますが、それが中気下陥証の現れである場合には、すべて昇提中気法を用いて治療することができます。
 弁証論治の過程を図表で示すと、下の図のようになります。

弁証論治の過程
 この図からもわかるように、証の決定は中医学による治療のキーポイントであり、四診は弁証にその根拠を提供する手段です。そして治法の決定、処方薬物や治療穴の選択は、すべて弁証を基礎にして行なわれます。このことから「証」は弁証論治のなかで決定的に重要な地位を占めることがわかります。
 理・法・方・穴(薬)という流れが、弁証論治のシステムです。「証が同じであれば治もまた同じであり、証が異なれば治もまた異なる」というのが、弁証論治の本質です。

§W. 鍼灸の歴史

A.中国

 鍼灸の発生起源は詳しくは分かっていませんが、石器時代に医療器具に使われた石塊が見つかっており『黄帝内経・素問・宝命全形論編』に「砭」と記載されたものに相当するとされています。山東省大汶口などでは骨鍼が見つかっています。当時の人々が痛みに対し、撫でたり叩いたりする延長として鋭利なもので体を押したり刺したり、あるいは熱したり焼いたりすることにより痛みが軽減することを発見したことは容易に想像できます。このような経験と観察を繰り返して、より多くの人々に対して応用するようになったのが鍼灸の始まりでしょう。
 現存最古の医書戦国時代の『黄帝内経』には経絡と兪穴、鍼灸の治療原理・手法・適応症・禁忌症などに詳細な記載がされており、鍼灸医学がすでに成熟していたことを示しています。『黄帝内経・素問・異法方宜論』では鍼灸、按摩の起源が記されているが真偽の程は定かではありません。鍼灸の初期は疼痛部に対する処置だったものが、陰陽五行思想と融合し、また経絡学説や臓象学などと結びつき、経穴に対して施術を行う形が確立していきました。
 晋代になると皇甫謐(こうほひつ)があらわれ鍼灸専門書『鍼灸甲乙経』を著しました。皇甫謐は349の穴位を確定し、鍼灸の手法・適応症・禁忌症ならびに日常的疾病への鍼灸治療などに詳細かつ総合的に論述しています。
 唐代には、孫思邈が著書『千金方』で鍼灸医学を詳述しているほかに、三枚の鍼灸掛図を描いています。また、唐代の医療行政機関太医署には鍼灸専科が設置されており、鍼灸博士、鍼助教、鍼師などの身分に格付けされた鍼灸の専門従事者がそれぞれ相当の任務に就いて働いていました。
 北宋時代に、王惟一(いいつ)は『銅人兪穴鍼灸図経』を編集し354個の兪穴を考証しました。王惟一はその後二体の『鍼灸銅人』を鋳造しましたが、これは最古の鍼灸経穴人形です。  元代の滑伯人(かつはくじん)は『十四経発揮』を著し、経脈の循行ルートと兪穴を系統的に解説しました。
 明代の楊継洲は『鍼灸大成』を著しました。これは『黄帝内経』と『鍼灸甲乙経』の後の鍼灸学の総括といえるもので、今でも鍼灸学を学習する重要な参考書です。  清代から新中国誕生までは、鍼灸学に大きな発展はありませんでした。1822年、清王朝は宮廷医院内の鍼灸科の廃止を宣言するなど西洋医学の流入と共に伝統中国医学の衰退が始まりました。 中華民国時代、袁世凱は伝統中国医学を禁止しようとしましたたが強い反発にあいました。
 中国共産党の時代に中医を正規の医学として認可するまで中医廃止派と中医派の対立が続いきました。やがて正規の医学として認可すると、逆に冷戦時代にはアメリカ合衆国やソ連を中心とする西洋文明に対抗し、東洋文明の価値を宣伝するべく鍼灸治療をメディアに紹介しました。
 改革開放の波に乗って市場経済社会主義を標榜するようになってからは、中国国内での鍼灸への評価は多様化していますが、一方では一種の「頭脳流出」ともいえる現象も起きていて、優秀な中医や鍼灸師がよりよい活動の場を中国国外に移住するケースもよく見受けられるようになりました。

B.日本

 日本では、鍼灸は遣隋使や遣唐使の伝来と共に伝わったと言われています。鍼灸の伝来と共に鍼灸は律令制度に取り入れられて針博士が任命され、日本の医療の一部として浸透し始めました。丹波康頼の『医心方』には鍼灸の条文が記載されていますが、鍼の使用法については外科的なものばかりであり、現代のような金元明医学の鍼法とは大きく異なる。灸法についても、現在のような経脈(経絡)を意識したツボ(経穴)の使用法ではなく、特効穴的な選穴か、鍼と同じく外科的な使用法でした。これらは『千金方』や『外台秘要』などの影響であり、隋、唐代医学そのものと言って過言ではありません。ツボや経脈が現在のような使用法に至るには、明代医学の伝来を待つしかありませんでした。
 室町時代から江戸時代に入って日本鍼灸は大きく発展しました。『鍼道秘訣集』の御薗夢分斎、打鍼術を発明した息子の御薗意斎、『素問諺解』、『難経本義諺解』、『十四経発揮和語抄』など中国の文献の解釈本を多く出版した岡本一抱など、この時代は多くの人物を輩出しましたが、特に杉山和一の功績は大きいとされます。杉山和一の考案した管鍼法は日本の主流の技法となっています。また、盲人であった和一は盲人の鍼灸術修得のため鍼治学問所を設立しました。
 明治時代になると、近代西洋文化の流入に伴い、明治政府が西洋医学の導入と共に漢方医学の排斥を進めました。鍼灸もその例に漏れず、明治時代から大正時代にかけて鍼灸は衰退をたどりました。
 明治から昭和初期にかけて鍼灸の医学的研究が成熟を迎えるようになり、大久保適斎は鍼灸刺激は交感神経を介して心臓に影響が及ぶということを提唱し、三浦謹之助は鍼治についての研究を行い、後藤道雄はヘッド帯を用いての治療を行いました。長浜善夫と丸山昌郎は鍼の響きよるものと考えました。石川太刀雄は皮電点を、中谷義雄は良導点を、小野寺直助は圧診点を、成田夬助は擦診点を、藤田六朗は丘疹点を提唱しました。また、芹澤勝助は鍼灸師としてはじめて医学博士を取得しました。中山忠直は『漢方医学の新研究』の著書で鍼灸医師法を提案しました。
 昭和に入ってから第二次世界大戦やGHQの統制で鍼灸の存続が危ぶまれましたが、医学博士石川日出鶴丸や全国の鍼灸師の働きにより昭和22年(1947年)12月20日、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布されました。
 また、鍼灸の衰退に対して復興運動が昭和初期から起こりはじめました。「古典に還れ」と提唱した柳谷素霊とその元に集まった岡部素道、井上恵理、本間祥白、福島弘道などが経絡治療を体系化しました。他にも澤田流太極療法を考案した澤田健と弟子の代田文誌、江戸時代の本郷正豊著『鍼灸重宝記』の内容を治療法の核としていた八木下勝之助、小児はりの藤井秀二、皮内鍼の赤羽幸兵衛、『名家灸選釈義』を著し、深谷灸法を確立した深谷伊三郎、その弟子で『図説深谷灸法』を著した入江靖二、『灸治療概説』を著した根井養智、『鍼の道を尋ねて』の著者であり鍼灸の神様と呼ばれた馬場白光などが古典を元に鍼灸の復興に力を注ぎました。
 昭和58年(1983年)、鍼灸を専門に研究する初の四年制大学である明治鍼灸大学が開学しました。
 昭和63年(1988年)、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律」の改正により、知事免許であった資格が国家資格となりました。
 平成3年(1991年)、鍼灸医学を研究する初の大学院修士課程が、平成6年(1994年)、大学院博士課程が明治鍼灸大学に設置され、平成9年(1997年)、世界初の博士(鍼灸学)が誕生しました。



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